昭和三十六年、東京・品川の復興住宅街。
電車の切符が、時間の流れを操作する装置だと知られたのは、関東大震災の十周年直後だった。
国は「記憶の整理」と称し、切符を配布。
使用した者は、過去の苦しみを「都合のいい記憶」に置き換えられる。
法律は明確だ——一度使えば、元の記憶は二度と戻らない。違反者は、公共の記憶から抹消される。
騎士団長・佐伯源一は、その制度の番人だった。夜警のため、毎晩、電車の駅構内を巡回。
切符の不正使用を監視し、疑わしき者は「記憶の清掃」に送る。
彼の胸には、二十年前の約束が沈んでいる。
あの日、彼女が言った「戦争が終わったら、またここであなたに会う」——その言葉の意味を、彼は今でも
覚えている。
彼女は、帝国大学の物理学科の研究員だった。名前は、今は「山田澄子」という。
彼女は、切符の開発者だった。そして、彼の手元に、一枚の切符が届いた。
駅のロッカーに、彼の名前で預けられていた。発行日は、彼が軍隊を脱走した日。
目的地は、関東大震災の被災地、浅草の瓦礫の下。
彼は切符を挿した。駅の時計が逆回転し、煙に包まれた街が蘇る。
瓦礫の隙間から、十七歳の彼女が手を伸ばしていた。彼は、あの日、彼女を置き去りにした。
軍の命令で、彼女が「記憶改竄装置」の実験体になることを知りながら、黙った。彼女は笑った。
その笑顔が、彼の記憶を、今も刺す。
彼の手が、切符を引き抜く。時計は止まる。周囲の人の動きが、一拍だけ遅れる。
彼は、切符を靴底で踏みつぶした。灰が風に舞う。彼の名前は、公文書から消える。彼女は、目を覚ます。
彼の顔を見て、微かに首を傾げた。
「……あなた、誰ですか?」
彼は、黙って、彼女の手を取った。駅のホームの端で、二人は立ち尽くす。電車の音が、遠くで鳴る。
彼の胸の、騎士団長の徽章が、冷たく光った。もう、誰にも戻れない。
この瞬間が、彼の最後の義務だった。


