1973年、東京・中央線の通勤電車。

女学生・千夏は、毎朝同じ席に座り、窓に映る風景を数えるのが日課だった。

駅名、看板、歩行者の傘の色——三十七個目で、いつもと違う光が差した。

窓の向こう、同じ駅名の駅構内に、白い制服の少女が立っていた。

髪はリボンで結ばれ、手にはレースの手袋。千夏の制服とは違う、大正末期の貴族女学校の様式。

その少女は、千夏と同じ顔だった。

三日後、千夏は電車の窓をまた見た。今度は、少女が手を挙げた。指先が、千夏の掌に触れるように。

その瞬間、彼女の指先に、誰にも見えない「記憶の鍵」が宿った。

物語の世界で、彼女は「悪役令嬢」だった。父は財閥の当主、兄は帝国陸軍の将校、母は華族の令嬢。

彼女は、すべての愛を独占する存在。誰もが彼女を溺愛し、彼女の怒りで誰かが追放された。

千夏は、自分が「覚醒したスキル」を理解した。それは、平行世界の「日常の裂け目」を見ること。

誰もが見逃す、電車の窓の曇り、時計の秒針のズレ、駄菓子屋の看板の色違い——それらが、別の世界の窓

だった。

彼女は、自分の世界で、妹を虐待したとされる女子学生を助けた。理由はわからない。

ただ、あの世界の自分が、その子を「消した」記憶が、胸を締めた。

その夜、千夏は、家で母が差し出したおにぎりを、一口も食べられなかった。

四日目、電車の窓が、再び裂けた。

今度は、あの悪役令嬢が、千夏の世界の自分に、手紙を渡そうとしていた。

紙には「助けて」と書かれていた。しかし、千夏の手が届く直前、電車がトンネルに入った。

暗闇の中で、彼女の指先が、誰にも見えない「記憶の鍵」を握った。

トンネルを抜けた時、窓の向こうの少女は消えていた。

代わりに、駅の看板が、昭和四十八年の「万博」のポスターに変わっていた。

千夏は、それ以来、毎朝、窓の向こうを見つめる。誰もが、その異常を気にも留めない。

電車は、いつも通り、駅を過ぎていく。

彼女の胸に、あの世界の自分が抱いた「溺愛の温もり」だけが、残った。

それは、スキルの覚醒でも、平行世界の証でもない。

ただ、自分が、誰かの幸せを「奪った」ことを、

初めて、心で知った瞬間だった。