電車の窓に映った顔が、自分ではないことに気づいたのは午前六時十七分。

街はまだ眠り、銀座の看板が水のように揺れていた。彼は駅員の制服を着て、ホームで立っていた。

記憶がない。ただ、心臓が鼓動を繰り返すたび、遠い時代の風景が脳裏に焼きついてくる。

1932年、帝国大学の図書室。あの日に読んだ詩集のページが、今も指先に残っている。

この世界では「死後の記憶」が実在する。

政府が発表した『記憶継承法』により、死後50年以内の記憶が、特定の装置を通じて再生可能になった。

ただし、再生される記憶は本人のものではなく、精神が「未処理の愛情」として再編されたものだった。

誰もが記憶の断片を借りる代わりに、その感情の重みを負う。

彼は朝刊の隅に「大正ロマンの復活」という見出しを見た。

自宅のテーブルに置かれた古い手帳には、筆跡が「あたし、君を待ってる」と書かれていた。

彼はその文字を読み、胸が締めつけられた。だが、その記憶は彼のものではない。

1937年、関東大震災後の復興期。

女学生が火事場で倒れ、意識を失ったまま、誰にも見つけてもらえなかった。

その名前は記録に残っていない。

告白の儀式は毎月15日、神社境内で行われる。

参加者全員が匿名の声帯データを提出し、過去の恋の証言を共有する。彼は当日、会場の隅に立っていた。

黒いカーテン越しに、女性の声が響いた。それは、自分の声と完全に一致していた。

「私、あなたをずっと探していた。でも、あなたはもういない。でも、私は覚えてる。」

音声解析機が異常を発した。記録上の彼の声は、昨年亡くなった人物のものだった。

彼はその日、自宅の鏡に映った自分の顔を確認した。目が赤く、涙が止まらない。記憶が現実に重なった。

そして、彼が見たのは、自分自身がかつて殺した人――1937年の女学生。

彼はその記憶を、自分が「忘却のため」に意図的に閉ざしたことを知った。

世界は、記憶を「感情の再構築」として扱うようになった。だから、死んでも愛は生き続ける。

だから、告白は罪になる。

彼は神社の階段を下りながら、手帳の最後のページを破いた。紙屑が風に舞い、東京の空へ消えた。

カタルシスは、消え去ることだった。