女子学部の寮で、彼女は毎夜、同じ夢を見る。漆黒の和服に身を包み、朱塗りの門をくぐる。
そこは帝国大学の裏に存在しない「古社学苑」——明治初期に閉鎖された貴族女子教育機関の幻。
夢の中では、彼女は「藤原家末裔」として校長の座にあり、生徒たちが跪き、校則は「血統の純粋さ」で裁
かれる。
現実では、彼女は母の再婚で庶民に転落し、学園の最下層「雑巾組」に放逐されている。
夢の世界では、校則が物理法則となった。
血統を偽った者、夜の鐘の後、廊下を歩く者、古社の紋章を模倣した髪飾りをつける者——皆、朝になると
身体の一部が消える。
一昨年、生徒が「ハイカラな洋装」を着て登校した翌日、両腕が溶けて如く消えた。
校長は「夢の秩序を守るため」と宣言した。誰も疑わなかった。夢は現実の延長だと信じられていた。
彼女は夢で、かつて自分を追放したクラスメイトを、血統不純として校庭の石柱に縛りつける。
その夜、現実の彼女は右足の指が麻痺した。医師は「神経性の異常」と診断。
学園は「女学生の不安定な精神」と記録した。だが、彼女は気づいた。夢のルールが現実に侵食している。
昨日、彼女の隣の寮室で、少女が「藤原の紋」を刺繍した手拭いを隠していた。
今朝、その少女の左目が、白く濁っていた。
夢の世界で、彼女は校長の印鑑を押す。現実の学園掲示板に、新校則が張り出される。
「血統を保たぬ者、夢の罰を受ける」。生徒たちは、自らの家系を調べ始める。
父親が公務員か、母が神社の娘か、祖父が旧華族か——。学園は「血統調査委員会」を設置。
学生は、自分の親の戸籍を盗み、夜中に図書館で明治の家系図を書き写す。
電灯の下で、彼女は自分の母の戸籍を焼いた。
灰が風に舞うと、夢の中の朱塗りの門が、一つ、音もなく崩れた。
最後の夜、彼女は夢で、自分が真の藤原家末裔ではないと知る。
祖母は、戦前の女学生運動に加わり、家名を捨てて平民と結婚した。
彼女は偽りの血統で、夢の権力を握っていた。現実の彼女は、寮の窓から外を見た。
校舎の屋根に、黒い鳥が一羽、止まっていた。
羽を広げると、その模様は、藤原家の紋——だが、三つ葉葵の代わりに、赤い「×」が刻まれていた。
翌朝、彼女は校舎の階段で倒れた。医者は「過労性昏睡」と診断した。彼女の左目は、白く濁っていた。
夢の中の校舎は、すべて崩壊した。唯一残ったのは、校門の柱に刻まれた一文。
「血統は、夢のための嘘だった」。
学園は、彼女の名前を記録から抹消した。
だが、三年後、女子学部の新入生が、教室の机に、赤い×の刺繍を施した手拭いを置いた。
誰も、それが何を意味するか知らない。
ただ、その日から、夜の寮で、誰かが、小さな声で呟き始めた。
「……夢の中、校長は、誰?」


