昭和十七年、関東大震災から十五年。街は鉄と煙ででき、空は黒い雲に覆われていた。
帝国大学の地下研究所から漏れた「種族融合実験」が失敗し、人間と「影人」の混血が街中を彷徨う。
法律は明確だ——影人との接触、乗車、同居、すべて死刑。
騎士団長・佐伯誠は、その規則を守るために、三年間で七十三名を処刑した。
ある朝、彼の手元に届いたのは、帝国大学の女学生・田中千代の身元証明書と、一つの手紙。
手紙には「明日、上野発の終電に乗る。影人との交渉を試みる。あなたが見逃せば、私は死ぬ。
見逃さなければ、あなたが死ぬ。」とだけ書かれていた。
佐伯はその夜、電車の改札口で千代を待った。彼女は黒いスカートに白いリボン、手には古い時計。
影人は、彼女の左腕から伸びる、光る線でしか見えなかった。
電車が入線した。乗客は人間だけ。車内は静か。
佐伯は、千代の手を取った。
規則が動いた。
彼の胸元の騎士団徽章が、熱を帯びて赤く光った。
「違反者を処刑せよ」と、無数の声が頭の中で叫んだ。
彼は、その徽章を指で折った。
ガラスが割れる音。
車両の扉が閉まり、電車は動き出した。
後方の警備隊が走り出した。
佐伯は千代を席に座らせ、自分の背中で窓を塞いだ。
三駅目で、警備隊が突入した。
銃声が三発。
佐伯の右肩から血が流れた。
千代は、時計の針を逆回転させた。
車内が白く光り、時が戻った。
再び、電車は発車直前。
佐伯は、今度は自らの手で、千代の手を放した。
「行け。」
彼は、警備隊の銃口に向かって歩き出した。
二発の弾が、彼の胸を貫いた。
電車は、千代だけを乗せて、黒い空へ向かって走り出した。
佐伯の徽章は、地面に落ち、灰になった。
影人は、彼の血を吸って、初めて、人間の形をした。


