昭和七年春、東京・神田の小さな神社で、十七歳の女学生が巫女として祝詞を上げた。
彼女は帝国大学文学部に合格したが、神社の「後継者」であることを理由に、入学許可が取り消された。
親は「女が学問を嗜むのは神に恥」と言い、神主は「巫女の身は神聖なままに」と言い放った。
彼女は神社の奥に閉じこもり、毎朝、参拝客の足音を数えた。
震災後の復興工事で、神社の境内に電車の高架が通ることになった。
鉄道省は「神域の侵食」を理由に、巫女を退去させた。
代わりに、神社の裏に小さな駅舎が建てられ、駅員は「神社の巫女は、電車の時間割に従え」と命じた。
彼女は朝六時、電車の発車時刻を神社の鐘で鳴らすようになった。
参拝客は「巫女が時計を打つ」と噂し、学生たちは彼女の鐘の音を頼りに駅に走った。
帝国大学の教授が、彼女の日記を手にした。
彼女は「神社の鐘が、電車の時間割に従うようになった」と書き残していた。
教授は、彼女を大学に招こうと動いた。
だが、神社の役員は「巫女が学問に手を染めるとは、神の怒りを買う」と、彼女の名を神社の登録から消し
た。
彼女は、電車の時間割に従って鐘を打ち続けた。鐘の音は、学生たちの通学のリズムとなった。
ある冬の朝、彼女は鐘を打つ手を止め、神社の裏の線路に座った。
電車が通るたび、彼女の袖が風に揺れた。駅員は見送った。
学生たちは、その日から鐘の音を聴かなくなった。
代わりに、教科書の端に「巫女の鐘」と書いたメモを残した。
彼女は巫女のままで、大学には行けなかった。だが、彼女の鐘の音が、東京の時間の在り方を変えた。
翌年、神社の隣に電車の時刻表が掲げられた。誰もが、それを「巫女が残した時間」と呼んだ。
彼女は、神社の隅で、日記に「昇格は、神に許されなかった」と書いた。
それっきり、鐘は鳴らされなくなった。


