昭和二十年、関東の山あいに残る旧帝国大学付属女子専門学校の校舎。

鉄骨は歪み、窓ガラスは糊で張り直され、廊下には電線が這う。魔法は戦争で失われた。

代わりに、発電所が空を染める赤い煙を吐き、列車は定時で走る。魔力が電力に変わった世界。

エルフは、その世界で唯一、電車の時刻表を読める存在だった。

彼女は、校舎の屋根裏で眠っていた。耳は尖り、肌は月光のように透き通っていた。

人間の学者が戦前に残した「魔導電気理論」の実験体。

だが、魔力源が消えた今、彼女の体は徐々に乾き、髪の色が褪せていく。

医者も、軍も、彼女を「古き遺物」として放置した。

青年は、隣の町で電車の駅員だった。毎朝、彼は時刻表を丁寧に折り、ポケットにしまう。

彼女が目覚めた日、彼は校舎の窓に貼られた「上野行き 8時17分」の紙片を、手渡した。

彼女はその紙を指でなぞり、初めて、涙を流した。

彼は教えた。電車は、時間に縛られ、人を運ぶ。それは魔法ではない。だが、誰もが待ち、誰もが見送る。

彼女は、毎日、校舎の窓から列車を眺めた。電車が通るたび、彼女の指先に微かに光が戻った。

魔力は消えた。でも、人間の「約束」が、彼女の命を繋いでいた。

ある冬、電力不足で列車が一時間遅れた。彼女は、屋根裏で震えながら、時刻表を千枚めくった。

彼が駅で「申し訳ありません」と頭を下げる声が、遠く聞こえた。

彼女の髪は、銀から灰に変わろうとしていた。

翌朝、彼は手にしたのは、一枚の紙。時刻表の隅に、彼女が書き足した「8時18分」。

それより早い列車は、ない。彼女は、人間のルールに、自分を合わせたのだ。

彼女の耳は、少し丸くなった。魔法は戻らなかった。でも、彼女は、朝の電車の音を、心に刻んだ。

校舎の壁には、二人の名前を書いた紙が、風に揺れている。彼女は、もう、エルフではない。

彼は、もう、駅員ではない。

ただ、二人は、時間に縛られた、静かな日常を、選んだ。