帝大文学部の女子寮で、十五歳の少女は毎朝、黒い筆箱を抱えて図書館地下に潜る。

誰もが彼女を「聖女」と呼ぶ——病気で声を失った彼女が、紙に書き綴る言葉が、病床の将校や震災孤児の

夢に現れるから。

だがその筆跡は、神の啓示などではない。

彼女が拾った震災直後の新聞の残り紙に、官憲が隠した「火災は自発的ではなかった」という証言が重なっ

ていた。

帝国の神道局は、関東大震災で崩れた神社の瓦礫から「神の怒り」を演出し、軍の統制を正当化していた。

図書館の天井に埋め込まれた監視孔は、彼女の筆運びを記録する。

だが彼女は、墨の代わりに炭素インクを使い、紙の裏に隠し文字を書く。

そのインクは、駄菓子屋で売られる「黒砂糖」を溶かして作った。

官憲は、甘い匂いのする紙を「信仰の証」として焚書した。

誰も、その灰に隠された文字を読めないと信じていた。

ある夜、図書館の暖炉に積まれた紙の山が、突然燃え上がる。

警備員が駆けつけたとき、彼女は黒い灰の上に、ただ一冊のノートを手にしていた。

その表紙には、神道局の紋章と、彼女が書いた「この国は神に見捨てられた」という文字が、炭でなぞられ

ていた。

翌朝、彼女の名前は学内から消えた。だが図書館の床下から、三百枚以上の炭素紙が見つかる。

それぞれに、震災で殺された漁師の名前、軍が爆破した住宅地の地図、そして「神の御心」の名で処刑され

た少女たちの年齢が、丁寧に記されていた。

帝大の教授たちは、その紙を燃やした。だが、その灰を拾った学生たちが、朝の校舎の窓に貼り始めた。

黒い文字が、朝日を受けて浮かぶ。誰もが、それが聖女の筆跡だと知っていた。誰もが、それを読んだ。

その日、帝国は「聖女」を神格化した。

だが、その神は、もう誰も信じられなくなった。