昭和10年、関東大震災から七年。
東京の瓦礫の上に立ち始めた団地街で、帝国大学の教授宅に新任のメイドが赴任した。
彼女は「政略結婚の為の儀礼的同居人」として、学長の息子と同居するよう命じられた。
だが、正式な契約書には「就職試験」とある。
合格すれば、彼女は学長の後妻に、不合格なら戦災孤児院へ返される。
この世界では、戦争で男性の半数が失われ、国家は「女性の生産的価値」を測定する制度を導入した。
家政技能、家系の純度、精神安定度——三項目の試験は、毎月第一土曜、全員が見守る中で行われる。
合格者には戸籍と米配給が、失格者は「非生産者」として強制労働へ。
メイドの名は千代。元は農村の娘で、震災で両親を亡くし、孤児院で家政を学んだ。
彼女は言葉を極力減らし、布団をたたむ音を揃え、茶碗の汚れを指先で消す。
教授の息子は、戦場で視力を失い、部屋の隅で黙って針金細工をしていた。
誰もが彼女を「役立たず」と見ていた。試験当日、千代は茶碗を二つ並べ、一つに甘酒を注いだ。
もう一つは、息子の手の届く位置に置いた。
試験官は「家政技能」で点を減らした。茶碗の柄の向きが揃っていなかった。
しかし、甘酒の香りが部屋に広がった瞬間、息子は、三年ぶりに、手を伸ばした。
そして、ゆっくりと、一つの茶碗を両手で抱えた。
千代は、試験官の前で、自分のおにぎりを二つに分け、一つを息子の膝に置いた。
その夜、団地の電灯が点いた。息子は、初めて、夕食の席に座った。
翌朝、千代の名前は、学長の妻候補リストから外れていた。
代わりに、団地の食堂で「家庭科指導員」として採用された。給料は少なかった。
でも、毎日、生徒たちが「千代さん、今日の味噌汁、お母さんの味だね」と言った。
誰もが忘れていた、ただの朝ごはんの温かさが、戦争の傷を埋めるのを、彼女は知った。
試験は、人を測るためのものではなかった。
人は、人を測るのをやめた時、ようやく生きる意味を、見つけた。


