1935年、関東大震災後の復興期。
銀座の明るい灯りがまだかすかに残る街角で、女学生・佐倉由美は毎日のように帝国大学の門をくぐった。
ハイカラなスカートに、白い手袋。
彼女の後ろで、影のように歩くのは、耳が少し長く、瞳が琥珀色の少年——山本竜之介。
彼は「生まれ変わり」と呼ばれる異世界からの帰還者であり、かつての村で失われた魔法の記憶を持ってい
た。
だが、昭和初期の日本では、『異能』とは禁忌だった。
政府の「精神統制令」により、奇妙な記憶や感覚を持つ者は「社会的不適応者」としてリストアップされ、
収容所へ送られる。
竜之介は由美に「忘れて」と囁いた。あの夏、二人が森で見つけた青い石——それはエルフの印。
その石を握った瞬間、記憶が蘇る。
1925年、春。由美と竜之介は、小さな湖畔の木々の中を駆け回った。童話のような時。
竜之介が言った。「君が笑うと、空が青くなるんだよ。」由美はそれを信じていた。
だが、1930年、竜之介は突然姿を消した。理由は書かれていない。
ただ、帝国大学の記録に「心神喪失、移送済」とあるだけ。由美は記憶を断ち切ろうとした。
1935年秋。由美は女子大の講義中に、電車の窓から顔を出した男を見た。
彼の目は、十年前と同じ琥珀色。そして、耳の先端がわずかに丸く、自然に曲がっている。
彼は自分の名前を呼んだ。由美は震えた。
その瞬間、記憶が返ってきた——竜之介が言っていた、「もしまた会ったら、君は私を認めるだろうか?」
だが、その夜、由美の家に警官が訪れた。記録によれば、「異常知覚者の同居関係」が発覚。
由美は「精神的混乱」の疑いで、女子大の留學資格を剥奪された。
竜之介は、すでに地下の収容所に移送されていた。
翌朝、由美は駄菓子屋の前に立ち、古びたラジオを借りて聞いた。
中から流れたのは、1925年の『月のしずく』。彼女は涙をこらえながら、竜之介の名前を口にした。
電波が途切れ、静寂が降りた。
その日の夕方、由美は故郷の古い町並みを歩き、最後に湖のほとりに立った。青い石が土の中から現れた。
彼女はそれを拾い、掌にのせた。記憶が戻った。竜之介が言っていた通り——君が笑えば、空が青くなる。
だが、今度は、空が青くない。灰色の雨雲が垂れ込んでいる。由美は石を投げ捨てた。
そして、ひとり、そっと笑った。


