明治末期に創られたとされる空飛ぶ神社「天橋立神社」は、昭和三年の関東大震災後、復興の象徴として東

京・下町に定着した。

その屋根の下で、神社のぼんぼんを製造する少女・小野つるは、毎朝、記憶を失った女学生を拾う。

彼女は名前も出身も忘れており、ただ神社の菓子箱に詰められた「月見団子」を、指でなぞるように触れる

神社は、昔の神話——天照大神が天岩戸に隠れたとき、八百万の神が祝いの舞を踊ったという伝承を、実体

化した装置だった。

その仕組みは、人々の「記憶の甘さ」を菓子に変換し、空に浮かべて神域へ送る。

団子一つで、誰かの幼い思い出が雲に変わる。

戦前の民主主義の芽が押しつぶされつつある時代、この神社は、政府が「記憶の統制」を進める中で、唯一

、個人の記憶を無害な甘さに変える場所だった。

つるは、女学生が団子を食べるたびに、その味に混じる記憶の断片を読み取る。

いちじくの香りは、戦前の帝国大学の図書館。抹茶の苦みは、女学生が隠した手紙の文面。

だが、政府は神社を「非生産的娯楽」と断じ、昭和五年、神社の飛行装置を「戦時統制令第7条」で停止命

令。

神社の屋根は、金属の鎖で縛られ、ぼんぼんの製造は禁止された。

女学生は、最後の団子を口にした。その味は、雨の日、誰かに手を引かれて歩いた道の匂い。

つるは、その記憶を、神社の裏に埋めた石の箱に詰める。

箱には、女学生が書き残した文字——「私は、誰かの思い出を、誰かの未来に変えたい」。

神社は解体された。だが、三日後、下町の小学校の窓辺に、小さな団子が一つ、風に揺れていた。

子供たちはそれを「おばけ菓子」と呼び、口にした。

その日から、校舎の廊下で、記憶を失った子が増えた。

誰もが、違う味の思い出を、静かに口にするようになった。

つるは、神社の残り火を、ぼんぼんの型に詰めた。空は飛ばない。でも、甘さは、記憶を守る。