帝国大学附属女学寮の卒業式まで三日。春の桜が散り、廊下には黒い制服と白いリボンが並ぶ。
女学生たちは卒業証書の準備に追われるが、一人の少女——鈴木千代は鏡を手にしていた。
関東大震災から五年。
瓦礫の残る町は復興工事で騒がしいが、彼女の鏡は震災の日に崩壊したとされる、上野の西洋館から持ち出
されたものだった。
校則第7条:「震災遺物の私的所持は退学処分」。
校長は「祟りを恐れる」と言い、新聞は「未明の遺品が再び災いを呼ぶ」と報じた。
千代は鏡を布に包み、教科書の裏に仕込んだ。鏡は誰にも映らない。自分すら。
しかし夜、彼女が寝静まったとき、鏡の表面に淡い影が浮かぶ——明日の教室で倒れる同級生、明後日の図
書館で燃える本、そして卒業式当日、校舎の階段から落ちる教頭の姿。
三日目、朝礼の後、監督の女教師が彼女の机を調べた。教科書をめくると、鏡が落ちた。
周囲の生徒が息を吞む。校則は冷たく適用される。退学通知が印刷される。
だが千代は動かなかった。
鏡の表面に、今日の午後、校庭で起きたこと——教頭が階段で転倒する前に、彼が手にしていたのは、震災
当時の軍部命令書のコピーだった。
そしてその裏には、復興予算の不正記録が書き込まれている。
鏡は未来を映すのではなく、隠された真実を映す。
校長は通知を破り、千代を呼び出した。
「君は……誰に頼まれた?」
彼女は答えない。ただ鏡を手に、卒業証書の封筒をそっと差し出した。
中には、震災で亡くなった教師の名前と、軍部が隠した救助命令の写しが入っていた。
卒業式当日、千代は黒い制服のまま、校門をくぐった。
鏡は彼女のポケットに残った。
校舎の壁に貼られた復興記念掲示板には、彼女の名前がない。
だが、翌日の新聞に、震災時の不正が記事になった。
署名は、消された教員の名前だった。
千代は、卒業しなかった。
でも、誰も彼女を退学にできなかった。
鏡は、戦前という時代の、正しさと嘘の境界を、静かに書き換えた。
彼女の手には、卒業証書ではなく、一つの真実が残った。
そして、その真実は、誰にも見せずに、ただ、明日を照らしていた。


