大正十五年四月、帝国大学付属女子高等学院の生徒が、銀座の喫茶店「風の隙間」で、店主・佐伯静子の机

の上に置かれた封筒を誤って落とす。

火を点けたライターは、手紙ではなく、机の隅に積まれた「戦時下・民間施設改修申請書」の裏に挟まった

、軍需省の通知用紙を巻き込む。

紙は瞬時に黒く焦げ、文字は溶けたインクのようににじむ。

静子はその日、二時間も黙って窓の外の桜を見ていた。

店のカーテンは、昨年秋に銀座の洋服屋で買った、イギリス製のレース。

今や、そのレースに風が通らない。

軍需省は「喫茶店の洋風空間は、国民の精神的弱体化を助長する」と判断した。規則は口頭で伝えられた。

書面は存在しない。だが、焼けた紙の残骸が、彼女の「許可」だった。

三日後、店の看板は外された。黒い布で包まれた看板は、駅前の焼却場へ運ばれた。

静子は、コーヒー豆の袋を一つずつ、古びた木箱に詰めた。豆は、南洋から運ばれた、唯一の輸入品。

今は、それが「敵性物資」になる。

女学生は、校舎の廊下で、隣のクラスの生徒に「あの店主、反戦派だったの?」と訊かれて、首を振った。

答えは、誰にも届かない。

静子は、戦前の喫茶店で、毎日三杯のコーヒーを淹れていた。一人の客が、五年間、毎朝同じ席に座った。

彼は、帝国大学の教授で、戦争が終わるまで、静子に「今日も、ゆっくりしてね」と言わなかった。

言葉はいらない。時間が、その代わりをしていた。

焼却場の煙が、銀座の空を覆ったのは、五月の雨の前だった。

静子の手元に残ったのは、豆一粒と、レースの切れ端。

そして、あの日、彼女が焼いた紙の裏に、わずかに残った「改修許可」の印。

それは、誰にも見せられず、誰にも理解されなかった。スローライフは、軍需省の判子一枚で、消えた。