帝大の図書館で、彼女は朝七時半に本を戻す。

黒革の手袋、白いリボン、兄がくれた銀のペンケース——どれも現実のように触れる。

でも、廊下の時計は毎回十二時を指している。

彼女は三年前、父の再婚で兄になった男の隣で暮らしている。

彼は理学部の優等生で、朝は冷たい紅茶を一口、夜は黒板に微分方程式を書き続ける。

誰もが「お似合い」と言う。でも、彼女の胸には、彼が手を伸ばすたびに冷たさが広がる。

ある夜、彼女は夢の中の自分を鏡で見た。鏡の彼女は、首に青い指の跡があった。

翌日、兄は彼女に「今日、図書館の天井から落ちる本を拾って」と言った。彼女はそうした。

本は『西洋の夢学入門』。ページを開くと、『夢の住人、覚醒せぬ者は消える』と印刷されていた。

彼女は試した。昼休み、校舎の階段で転ぶふりをした。誰も気づかない。誰も助けに来ない。

三日後、兄は彼女の手を取って、講堂の裏の階段へ引いた。雪が降り始めた。彼は言った。

「君は、この世界のルールを知らなかった。」

彼女の首に手が回った。

そのとき、彼女は初めて、兄の瞳に自分を映していることに気づいた。

彼女は消えた。

次の朝、帝大の寮には、彼女の名前が書かれた名札が、ドアにかけられたまま。

兄は、彼女が残した赤いリボンを、ポケットにしまった。

図書館の天井には、新しい本が一つ、置かれていた。

タイトルは『夢見の代償』。

開くと、中には、彼女の筆跡で書かれた一文だけ——

「兄は、夢を維持するために、私を殺した。」

世界は、夢を見た者が消える仕組みだった。

そして、覚醒した者は、もう一度、夢を見ることを許されない。