帝都の外れ、瓦礫と蔦に覆われた旧貴族邸の跡に、一人の男が庭を築いていた。
彼はかつて宮中で「月ノ宮」と呼ばれ、皇室の儀礼木を世話する家系の嫡子だったが、内乱の際の誤認逮捕
を契機に特権を剥奪され、爵位追放処分を受けた。
それから七年。彼は名を変え、誰にも知られず、毎日同じ動作で土を掘り、水をやり、花を剪定した。
世界は「終焉律動」と呼ばれる現象に飲み込まれていた。
毎朝、太陽が昇るたびに、昨日よりわずかに色が変わり、街の建物の輪郭が少しずつ曖昧になる。
人々の記憶もまた侵食され、親の顔を忘れ、国歌を口ずさめなくなる。
政府は「記憶補填院」を設置し、市民に金属製の記憶筒を頭頂部に接続させていたが、その施設すべてが宮
廷中枢の陰謀によって操られていた。
記憶の消失は自然現象ではなく、特定の血統だけが保有する「律動耐性」を独占するための人工的洗浄だっ
た。
男の庭だけが、終焉律動の影響を受けなかった。
彼が育てる植物は、すべて祖先が宮中儀礼で用いた「時止め草」の系統であり、その根が地中で微弱な反律
動場を発生させていた。
近隣の女学生たちが、勉強中に記憶が飛ぶのを防ぐために庭の縁に座り始める。
彼は無言で席を譲り、枯れた葉を拾い集める。
ある晩、帝国大学の疫学者が倒れて運ばれ、庭の土壌分析を依頼した。
結果、この一帯だけが律動波のゼロ地点であることが判明。
新聞が「最後の聖域」と報じるが、三日後、その記者の名前はすべての刷版から消えていた。
男は庭の地下に古い儀礼具を発掘し、祖母が残した手記を読み解く。
therein、「昇格とは、権力を得ることではなく、守るべき領域を一つ増やすこと」とある。
関東大震災の再来のような地鳴りが起きた夜、記憶補填院の塔が崩落。
その瞬間、帝都の空に逆さまの宮殿の影が浮かんだ。
男は庭の中央に「時止め草」の最終株を植え、自らの左手を切断して根元に埋めた。
血潮が土に染み込むと、反律動場が急激に拡大。
翌朝、帝都の三分の一が元の色を取り戻し、人々はある日の朝食の味を思い出すようになった。
男は片手を失い、視力も半分落ちたが、庭は今もなお機能している。
女学生たちが手分けして水やりをし、近所の老人が冬囲いの竹を運んでくる。
彼は座り込んで、春の芽吹きを見守る。
誰もが知るわけではないが、宮中はすでに廃絶されており、代わりに「維持者協議会」という自治体が静か
に機能し始めた。
その初代代表の氏名欄には、彼の旧姓が記録されていた。
昇格は、誰にも宣言されなかった。
ただ、庭の奥に新しい小屋が建てられ、屋根には「御用達」の古い紋章プレートが再利用されていた。
男はそこに住み、毎朝、同じように土をいじる。
世界の終わりは止まらないが、ここだけはほのぼのと、日々が繰り返される。


