帝都学園の王子様、千早宗一郎は、帝国議会の政略結婚で「異世界の姫」と婚約する。

その相手は、鏡の向こうに存在する「時逆の国」の王女。

誰もが「魔法の国」と呼ぶその地は、1927年の関東大震災直後に、帝国大学の異常気象実験で開かれた

異次元空間。

時間は逆に流れ、震災で失われた街並みが毎日、午前3時17分に蘇る——だが、その復興は、現世の日常

を一つずつ削って補填している。

宗一郎は、婚約式の夜、鏡の部屋で王女と初めて対面する。

彼女は白い制服に身を包み、手に持つ懐中時計の針が逆回転している。彼女は言わない。

ただ、時計の音が消えるたび、現世のどこかで花が枯れ、児童が記憶を失い、駄菓子屋のガラスケースに並

ぶ「あめ玉」が一つ、消える。

三日後、学園の庭に咲いていた桜が、朝になって葉を落としていた。

新聞は「異常気象による早咲きの枯死」と報じる。宗一郎は校舎裏の古時計工房に走る。

そこで、王女が毎晩、時計を巻き直すためだけに訪れているのを発見。

彼女は、自分が消した日常の残骸——片手の手帳に、毎日、一つずつ「今日、消えたもの」を書き留めてい

た。

「今日、女子生徒の恋の手紙が、風に舞って消えた」「今日、母が作ったおにぎりの味が、誰にも思い出せ

なくなった」

規則が咬む。異世界の時間は、現世の「温かい記憶」を資源として消費する。

恋の気持ち、家族の味、夏祭りの音、校舎の鐘の響き——どれも、彼女が時計を巻くたびに、現世の誰かの

心から奪われる。

宗一郎は、王女が毎朝、校門の桜の下で一人、朝露を拭う姿を知る。彼女は涙を流さない。

ただ、指先で花びらを触る。彼は、自らの婚約を破棄しようとする。

だが、議会が彼の手に「異世界協定」の署名用印を突きつける。拒否すれば、学園は閉校。

彼の母の遺した工房は、震災復興資金の名で差し押さえられる。

決断は、夜の鏡の部屋で下された。宗一郎は、王女の懐中時計を奪い、自らの腕に巻きつける。

針を逆に回す。代償は、彼の記憶。

彼は、王女と結婚した理由を忘れ、学園の校歌を歌えなくなり、桜の花の香りを嗅いでも、何も感じなくな

る。

しかし、彼の心に残ったのは、ただ一つ。

王女が毎日、消えたものたちを書き留めた手帳の最後のページ——「今日、王子様が、私の手を握ってくれ

た。

その温もりが、唯一、逆流しても消えないもの」。

時計の針は、止まった。異世界の復興は、永久に止まる。現世の桜は、また咲き始めた。

誰もが、なぜか、心のどこかで、温かい何かを思い出す。それは、誰にも説明できない。

でも、駄菓子屋のガラスケースに、一つ、あめ玉が戻っていた。